花に嵐

興味が湧いたって据え膳の完成を待って

0216

高いものを買ってなくすのを怖がってるのが嫌だったけどだからって安いものばっかり身の回りに置く方が不幸な気がしたので安いからという理由で買ったものは殆ど捨てた。服とか。気に入ったものが安いと嬉しいけど安いもの安いって理由で買うの嫌いになった。そうすると買い物の回数が減る。1990円の服とか絶対大事にしないもんなって思うし、本3冊買う方がいい。大事な人から貰ったものだったらがらくたでも宝物だけどストレス発散みたいに買ったものは家に帰るとゴミになります。そして、欲しいものはないけど言葉はいくらでも欲しいと思った。

久しぶりにブログを書こうと思ってログインしたら昔の記事とか下書きとかが大量に残っていていろんなことを思い出した。戦ってたんだなあと思った。今も戦ってるけど。
つまんなくなりたくない、丸くなりたくない、大人になりたくないってずっと思っていたけど、よくわからない言葉の羅列でニュアンスだけ伝えようとしてたけどそれじゃだめだと今はわかる。伝わらないと意味ないし、伝えてからじゃないと救えない。

でもやっぱり、戻れるなら、わたしは戻りたい。あの狭い部屋にもあの夜にも帰りたい。それでもう少し人を傷つけない選び方をしたかった。
そしていまも相変わらず私は不幸より幸福がこわいんだなと思います。だから、もっと嘘をつくことを覚えて、いつだって愛されてしあわせ、という顔で生きていけるくらいつよくなりたい。私が選んだ不幸なので、そのせいで誰かを不幸にするのは間違い。しあわせでいて。みんな。これでいいんです、って笑うから、笑ってね。
私が持っているのは選び抜いた者たちではなく捨てられなかった者たち。1990円だったのものはもう切って捨てた。残ったのはがらくたみたいな宝物。これからもずっと捨てられない。
苦しくても重たくても、抱きしめていく。

0226

あさ、目が覚めた瞬間雨が降っているとおもった。
そのあとで雨音がついてきた。
どうでもいいひとたちからどうでもいい内容の連絡がくる。
本当に会いたい人に会うことはないのに。
どうしてわたしたちは自分だけを、または自分ともうひとりだけを、大切にすることだけで生きていかれないのだろ。
いまから余分なものを排除しても、余分なものの甘さを知ってしまったわたしたちはその完結した場所ではきっと生きられないでしょ。
ことばがおおすぎる、そしてそのおおすぎることばをどうやっても、自分の本当の気持ちを正しく誰かに伝えることなんてできない。

離れていても空は繋がってる、なんていう何万回も聞いた常套句はなんの救いにもなってくれなくて、だってわたしは女の子だからほしいものが触れられる場所になければならないのに。
それでも手放せずにずっと愛でていたい寂しさというものも確かにあって、それはわたしなりのすきなのだとおもう。

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無道徳で無意味なうつくしさを永遠に守る、大切にされている自分を大切にする、大人の階段を上るわたし、躓いたり躊躇ったりするわたしをどうか見守っていてほしい。